唐突ですが、当ブログのスタンスについて、違和感を持たれる方も多いかもしれません。
どこかの誰かが言っていたように、ちょっと宗教みたいじゃないか、と。
曰く「
白鳥教」。
ファンサイトでも当初、ブログのコメントが彼女を「神格化」しすぎなのではと議論があったような気がします。
(議論されていた方々がどうだったか、という話はこの際置きます)
まぁ、私は教会に非常に近い環境で育ちましたから、それも多少影響しているかもしれません。
実際に、以前のエントリで意図的に聖書の一節を引用したりもしてます。
それは抽象化することで、伝えたいと思うことをより純化したいと考えたゆえのことだったりします。
けれど、これは白鳥さんを知り、惹かれ、白鳥さんのブログを熟読(笑)された方にとっては実感としてあると思いますが、彼女の(ブログから伝えられる)あの純粋さ、無垢さ、そして人に対する心遣い、思いやりを目の当たりにすると、一種宗教じみた感慨を持たざるを得ないというのが実感ではないでしょうか。
とここら辺まで書いて、
YURIKOgnitionさんが非常に冷静かつ的確なエントリをあげておられるので、そちらもご一読下されば幸い。
これも以前に書きましたが、「
こんな女性が実際にいるということ」。
それは私には軽い驚きであり、汚れ、疲れてしまっている自分の中にしみ入る清水のようでもあったのは事実です。
ほとんどの男性は、彼女のその生き方、彼女の言う「純粋」な「心」の前にあって、それに憧れ、恋してしまうのではないか、と思います。
それは失くしてしまった自分の純粋さへの憧れ、のようなものかもしれません。
この「
純粋」という言葉を考えていて、ふとある本を思い出して読み返してみました。
ここを見ておられる方々の中には「仮面ライダー電王」から白鳥さんファンになられた特撮ファンの方も多いと思いますので詳しくは説明しませんが、金城哲夫という、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を作った脚本家がいます。
切通理作さんという方が書かれた本「怪獣使いと少年」ではこの不世出の(そして不遇な)天才、金城哲夫氏についての作家としての分析が載っているのですが、そこで金城氏がウルトラシリーズよりも以前に書かれたという物語「こんなに愛して」の内容が紹介されています。
そこに登場する女性「ヤッコ」がまさに「純粋」「無垢」な(ある意味子どものままのような存在として)描かれていました。
それはマネキン職人の主人公・大助が出会った、まるで人形のような「手」を持った女性。
大助は彼女のような「手」をしたマネキンを作りたいと願い、彼女に求婚します。疑うことを知らないヤッコは、大助の申し入れを受け入れます。
本論からちょっとズレるので詳細は割愛しますが、劇中にこんな会話のやりとりが登場します。
ヤッコ「あなたの理想の女性って、どんな人ですの?」
大助「いつもいつも、人から愛されようと一生懸命なひとなんです。自分の損なんて考えない。誰からも愛されようと天使のような心で生きているひとなんです」
ヤッコ「でも、今のひとたちは、なかなか愛してくれないでしょうね?」
大助「それでも笑いを忘れずに暮らしていく人なんです」
大助の理想の女性、それは多くの男性の理想の女性ではないでしょうか。
(それはいささか、男性からすると都合の良い「理想」かもですが)
それは汚れを知らない、まっすぐな「はだかの魂」。
私のような既に汚れている人間にとって、白鳥さんのそのまっすぐな純粋さは眩しくもあり、畏怖でもあります。
とうに失くしてしまった気持ちを揺り動かされて、冷静さを欠いているのかもしれません。
それは大助がヤッコの「手」だけを見て彼女にプロポーズしたように。
ただ、純粋なものに触れて、自分も純粋さを持つ者だと自己弁護するような
ひとにはなりたくないですし、そうならないようにしないとと思います。
お人よしでありたいとも思っていません。
だからここを作ったというのはあります。
「こんなに愛して」は結論からいうと悲しいお話です。
行き過ぎた”純粋”は、世間からは「奇異」なものにしか見えません。
ヤッコは団地の生活から孤立します。ただ子どものように純粋というだけで。
二人が今後うまく夫婦生活を営んでいけるとは限りません。
それでも大助とヤッコは、共に生きていこうとするところで物語は終わります。
少しずつ、現実を噛みしめながら。
私はファンがその対象に対して理想や幻想を持つことを否定しませんし、むしろ肯定します。
純粋なものを純粋だと賛美しても、バチは当たらないでしょう。
「芸能人なんて全部嘘っぱち。ブログだって事務所が書かせてるのさ」というならそれもよし。
それもまた、否定的な幻想でしかありませんから。
そう思う方は素直にこの「夢」に乗れないだけで、可哀想というしかありません。
白鳥さんの「純粋」も現実の前では(これからはもっと)苦難の連続でしょう。
ご自身でも
酸いも甘いも・・・人生ですよね
と既に書かれています。
白鳥さんもおとなの女性です。悲しみや苦しみを自分の中で消化していかれることでしょう。
そしてもっと強くなって、美しくなって、私たちの前で輝いてくれるでしょう。
それが私たちが抱く幻想と違っていたとしても、それは「
白鳥百合子」。
それを”そのまま”受け入れていけるかどうか。
ファンも試されているのだと思います。
最後に、またまた旧いアーティストですが、
ブロンディというグループのこんな曲を。
Heart of Glass一度恋をしたんだけど消えちゃった
ただハートがガラスになっただけ
さいしょは本物みたいにみえた
すぐに消えない疑いになって
いつのまにか恋はなくしちゃった
私は逃げていく 可愛い幻想の中
けど逃げることは出来ない私は
しょせんはいいようにあしらわれてる
ねえ無視しないで
もうちょっと夢中でいたっていいじゃない